心がパサパサになった時に水やりのために読む茨木のり子さんの詩『自分の感受性くらい』

心に響く言葉

初めて読んだ時に感じるものがあり、いそいそとメモをして思い出したように時々眺めている詩があります。読み返すたびに自分の乾いた心に潤いが戻ってくるような、厳しいけれど大好きな女の先生から叱られた時の甘酸っぱいような気持ちが甦ってきます。

それでは早速、紹介したいと思います。

「以下引用」

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

【『自分の感受性くらい』 茨木のり子〈いばらぎ・のりこ〉(2005年、花神社)】

環境に左右されて心が乾いてしまったのは、自分のせいでしかない。水やりをおろそかにしただけなのだ。自分の心は、自分が守るしかない。自分の心は、自分が育てるしかない。自分の感受性は自分で守るしかない。ばかものにならないように。

水やりの方法は自分で見つけてくるしかありません。私には筋トレや、映画や、読書、そしてこのブログがあります。

あなたの心にあった水やりの方法を見つける視点を、普段から心がけて持っておくと良いと思います。パサパサに乾いて心が脱水症状を起こしてからでは、水やりの方法を見つけようという気持ちすら起きなくなってしまいますから。

この詩を書いた茨木のり子さんは、1926年(大正15年)生まれの、詩人、エッセイスト、童話作家、脚本家です。残念ながら2006年(平成18年)に、自宅で脳動脈瘤破裂によってお亡くなりになっています。

 

また、書籍『茨木のり子の家』に収録された最後のあいさつ文が、何とも潔くて温かいです。

「以下引用」

このたび私  年 月 日   にて
この世におさらばすることになりました。
これは生前に書き置くものです。
私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品は
お花を含め、一切お送りくださいませんように。
返送の無礼を重ねるだけと存じますので。

「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬
思い出してくだされば、それで十分でございます。
あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかな
おつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸に
しまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かに
して下さいましたことか・・・。

深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に
代えさせて頂きます。

ありがとうございました。

年 月 日

【『茨木のり子の家』 茨木のり子〈いばらぎ・のりこ〉(2010年、平凡社)】

自分のやがて来るであろう死を受け入れて、それでも淡々と詩を作り続けた情景が目に浮かんでくるような気がしました。このような、生き様がそのまま綴られたような文章を読むと、やはり強かさ、しなやかさという面では私たち男性は女性には到底、敵わないものだなと感じてしまいます。

そんな女性からの言葉だから、私の心に素直に沁み込んできたのかも知れません。

自分の人生の一切に責任を負い、強靭な志を貫くために、『自分の感受性くらい』を時々読み返しながら、自分の日常を淡々と生きていきます。

この詩人の言葉を鏡として、自分のなすべきことをなして、心の水やりを怠らぬように。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

前に進む。たとえジグザグであろうとも。

Follow me!

コメント